久氐比古神社
- 鎮座地
- 鹿島郡中能登町久江ヘ66
- 氏子区域
- 久江 久江原山分
- 主祭神
- 久延毘古神 天目一箇神
- 延喜式神名帳
- 久氐比古神社 能登国 能登郡鎮座
- 社格
- 旧縣社
- 由緒
久延毘古神は、古事記に「この神は山田の 曽當騰(案山子)のこと足は歩かねど居ながら にして天下のことを知れる神なり」と書かれてあり博識の神で田や山を司る神なり。
天目一箇神は、古典に「天岩戸に隠られた 天照大神をお迎えする祭祀に献奉りし鏡の元鉄を鋳造し 自も刀斧鉄鐸を作り献奉りし」 と書かれてあり、鉄の器具を造り司る神なり。 往古当社が剣神社 剣明神を崇拝されたのは この御祭神の御神徳灼なればなり。
火産霊神は、軻遇突智命とも称え火を掌り、護り給う神で、この神の恩頼に依り火の禍を 避け火を防ぎ鎮めんと祀りし神なり。
久延毘古神、天目一箇神は、最初に久江に定着した住民の五穀豊穣祈願神として祀られ、久氐比古神社と称した。平安時代の延喜式に「小社に列し祈年の国幣に預る」と記される古社である。火産霊神は時の推移と共に住民の過半数の守護神として祀られ 愛宕神社と称し、江戸末期に久氐比古神社に移転合祀す。明治三十一年県社に列し 当時、久江に在りし、貴船社、諏訪社、櫛社の三社を境内社とし、現在は社務所内に奉斎す。
特殊神事である春祭の神賑行事「オケラ餅神事」は 醍醐天皇朝規の遺格を現今に伝えるものと現在も盛大に執行されている。