能登國二ノ宮 天日陰比咩神社 (二宮神社)

天日陰比咩神社あめひかげひめじんじゃ(二宮神社)は第十代崇神天皇の御代に御鎮座の官幣社で二千有余年の歴史をもつ延喜式内社で能登國二ノ宮であります。

日吉神社ひよしじんじゃ

鎮座地
羽咋市太田町ト82
氏子区域
太田町
主祭神
大山咋神
社格
旧村社
由緒

日吉神社の創建は、天仁年間(1108~1110)に谷逸忠太夫が山城国比叡山日吉大社のご分霊を勧請したのが始まりと云われています。当社は、東太田と云われる場所に鎮座しており、別当として同地の妙法寺が奉仕しておりましたが、明治に入り神仏分離が行われ、それ以降は神職が同社の行事を行うように変わったと伝えられています。
太田町は、近世、西太田が加賀藩領、東太田が土方領で入り合いの集落でした。同町の約八割が妙法寺の檀家でしかも住職が神前で読経するというのは、明治以前の別当であった関係だろうと云われています。

神事としては、春・秋祭、新嘗祭、除蝗祭、火祭の他、「二十日題目」と呼ばれる特殊神事が毎年2月20日に執り行われます。20日の夜から翌朝にかけて太田町の住人はこぞって日吉神社に参集し、神酒、鏡餅、赤飯、米、菓子、果物などを供えます。この「二十日題目」は、妙法寺住職が神前に南無妙法蓮華経と題目を唱えて檀家が団扇太鼓でお参りをするという珍しい神事です。起源は今から296年前の享保年間2月20日の夜に太田に大火が起きた時、住民が同神社に集って徹夜で題目を唱えて鎮火を祈ったことから始まります。その折、お寺の仏像をも日吉神社に安置して難を逃れたということから、そのお礼参りの行事として妙法寺住職が毎年行っています。翌21日には、神職によって火祭りが行われ神仏分離後も約百年間住時の習わしをそのまま今に伝えている珍しい神事です。

また、一番の賑わいをみせるお祭りとしては、秋祭が挙げられます。秋祭では、基本的に太田町の全ての世帯が神輿・獅子舞をお迎えし、一軒づつ神事が斎行されます。全ての家々の神事が終わった後、宮上りを行い、大花火の打ち上げの後、境内にて獅子殺しの演舞が披露され、祭りはクライマックスを迎えます。

日吉神社では、先の「二十日題目」の他、「太田獅子舞」が見どころである。


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